愛腸習慣のはじまり・・No1

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始まりは1970年

いまからおよそ50年ほど前。1970年ころの日本は高度経済成長のど真ん中でした。イケイケどんどんの経済で右肩上がり。多くの人が「豊かさ」を目指して目の前の仕事に邁進していました。が、その一方で公害という言葉が生まれ、社会問題になった時代でもありました。

公害問題で全国のあらゆる製造工場にいろいろな規制がかけられるようになりました。焼津の水産加工の工場も例外ではなく、「仕事で使った水はきれいにして川に放流しなさい」という法律ができました。

きれいにする前の水

当時の経営者はいろんな選択を迫られました。どう対応したか、工場によって違いがあったそうです。当社の当時の代表者(三代目代表小石信義)は、そのときちょっと他とは違った対応を取りました。水をきれいにするために、まずはきれいになる前の水についての勉強を始めたのです。どんな成分が含まれているのか。そしてそれをきれいにするにはどうしたら良いのか。そのうえで対策を練ろうという作戦です。具体的には、水質汚濁防止法に基づいて内容を勉強し、公害防止管理者の国家資格を取得するという方法でした。

勉強してみると、サバ節を造る仕事で使われた水には、いろいろなものが溶け込んでいるというのがわかります。おもには魚の血や分泌液、内蔵の内容物、魚肉のタンパク質などです。だんだんと調べていくうちに、この水には良いものもずいぶん入っているということが知れてきます。その中で先代がもっとも興味を惹かれたのは微生物の働きでした。なぜなら水をきれいにするには微生物が頼りだったからです。

きれいになった水

仕組みはこうです。

  • きれいにする水=有機物を含んだ水。
  • 微生物の役割=有機物を食べて分解する
  • 浄化された水=有機物が分解された水

浄化された水は微生物によって有機物が分解されているの水ですが、これにはちょっと変わった特徴がありました。

浄化水のなかに微生物が出した酵素が含まれていました。そのためなのか、この水は有機物の分解にとても優れていました。いつでも有機物を分解する準備ができている水といったら良いでしょうか。もともと浄化された水は河川に放流していましたが、なにかの事業に再利用できる可能性を感じるほど高い活性を示していました。

ウチの水と呼んでいたころ

1980年ころには、この浄化された水を再利用する場所を見つけるべく、新たな商品の開発を模索するようになりました。

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